・・・・

ですからヴュルツブルクもニュルンベルグ(これは少々事情が違いますが)も西ドイツの経済発展から取り残されていました・・。

当時は ライン川沿岸とハンブルグエリアが中心だったと記憶しています。 戦後の空白からの立ち上がり状況をいっているのですが・・・。

・・・。

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1件のコメント

  • 07/02/22 16:23

    それは違うでしょx2

    それは違うでしょ
    その1、ニュルンベルク
    ヴュルツブルクはともかく、ニュルンベルクが経済発展から取り残されていたとは、それはないでしょ。もちろんここよりも発展した地域もあったでしょうが、だからと言って経済後進地域ということはない。農業国と見られがち(実際そうなんですが)なバイエルンにあって、ミュンヒェン、アウクスブルク、ニュルンベルクは一大先進工業地域です。これは戦前、戦中、戦後を通じて変わらない事実です。

    両ドイツ国境に近いために投資が控えられたと言う事実も聞いたことがありません。

    その2、ロマンティッシェ・シュトラーセ
    例えばネルトリンゲンを例にとって、あの地域の後進性(ちゅうとちょっと語弊がありますが、要は工業化に取り残されたこと)は第二次世界大戦後の地政学的な条件とは関係ありません。もしそうであるならば、あのような城壁が未だに残るはずがありません。ベルリンですら19世紀前半にはまだ市壁を残していましたが(ブランデンブルク門やポツダム広場などはその頃の名残です)、ほとんどすべての都市で20世紀初頭までには市壁は取り除かれています。

    要は必要がなくなった(防衛は統一ドイツ国家の役割になり、個々の都市や領邦国家で城壁の中に閉じこもる必要がなくなった+火器、兵器の発達により城壁のもつ軍事上の機能が失われた)のと、邪魔になった(増え続ける人口を旧来の市域に収容できなくなった)ので、市壁、撤去せざるを得なかったのです。

    ロマンティック街道の諸都市に未だに城壁が残っているということは、その撤去をさまるような発展が19世紀から20世紀初頭にかけてなかったことの証拠です。それを両ドイツ国境への近さに関連付けるのは説明に無理があるとわたしは思います。

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    ・・・・・・・

    あの近辺のアウトバーンが 南北に抜けたのはかなり後になってからです。

    あの地域が農業主体の地域であった事は否定しませんが ドイツが東西に分割された後 発展を取り戻した西ドイツでは 各地域とも・・とくに西半分より・・・・を主体にという意味で、道路主体のインフラ整備により 経済発展を遂げたのですが その順番が一番最後になった・・地域なのです。 

    それと城壁を残したのは・・・彼等の意志で ローテンブルグはスグ隣りに 新ローテンブルグを作っていますよね・・・。

    ついでに いいますと ニュールンベルグは ロマンティック街道には
    入っていませんでしたね、いま気がつきましたが・・・。

    それと 東ドイツに近いのでインフラ整備が遅れた・・・という話は 35年前に 現地で聞いた話なのですが・・・。