いつかは南チロルへどうぞ。いいところですから

ボルツァーノ、メラーノを中心とした南チロルは第1次大戦でオーストリアが負けたため伊に譲渡した、元オーストリアなのでドイツ語住民のほうが多い、ユニークな地方です。譲渡を免れた南チロルの東半分(新名称東チロル)はインスブルックから列車で行くと伊領南チロルを通る飛び地になってしまいましたが。
北伊でも南チロルはドロミテを除き日本人が滅多に行かな地域なので、穴場を旅することが好きそうな方には絶好と思い紹介しました。ワインもオーストリアは白が大半ですが、南チロルは赤も美味しいです。料理はオーストリア風中心です。
バスのドライバーが乗客ごとに独と伊語であいさつを使い分けてるのが印象的でした。
ただ、アルプスの大自然が中心で、美術館、博物館はあまり期待できないかも。トレントで正解だったかも。

>Thanksお好きですか。
トピ主さんが私のコメントがいくらかでも参考になったという意思表示ですから、嫌いではありませんよ。
道を聞いたのに、ありがとうも言わない方は問題がありますから。サンクスの仕組みを知っていれば、普通は付けるでしょう。マナーですから。

ポイント制度も終わり、もう、ランキングに反映されないのに、相変わらず、私は精力的に回答し続けていますから、サンクスが欲しくて回答していたのではないことが証明できてポイント終了はよかったです。
もっとも、ポイント制度前の5年間も、今と同じペースで、結局11年間変わっていないのですけどね。

ポイント制度(ランキング)は最初の1年ほどは自分の旅行知識と体験を試すゲームとして楽しんでいました。

楽勝のようですが、そうでもなく辛勝も2,3回あり、常連の皆さんも多くのサンクスを獲得されたので、地位を保つのはなかなか大変でした。もちろんすべてガチンコ(それ以外は不可能)で不正は一切ありません。

サンクスを増やすため、私が質問して、回答しているという信じられない中傷がありましたが、私は可能なら旅程を中心にした日本人全部の国内外の旅の質問に答えたいと思ってるくらいなので、その趣味を自分で奪うような愚はしません。

よって、質問のサクラもいません。本物の旅の質問以外に答える愚もしません。なぜなら、国内外くまなく旅しているので、毎日多くの質問に答えることができ、サンクスは容易に得られるからです。

ポイントが得られるサンクス制度がなくなっても、あったころと同じぺースで回答していることから、サンクスが欲しくて回答してるのではないことを理解していただければ幸いです。

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1件のコメント

  • 国境が変わる

    戦争のたびに国境のラインが変わるのはヨーロッパではよくあったことで珍しくはないのでしょうが、一つの民族を分断する国境線は日本人には違和感がありますね。

    政治的な国境と言語国境の差異は、海外旅行で注意して観察している点の一つです。何世代も民族の分断が続いて互いの交流がなければ次第に文化的な差異も大きくなっていくように思います。

    東南アジアでも同じようなことがあり、一つの国の中では違う民族との同一化が進んでも、国境の向こう側とは話す言葉も生活も違いが大きくなってゆきます。大きいところではミャンマー・シャン州のタイ(タイヤイ)族、中国・雲南省西双版納の泰(タイルー)族、タイ東北部(イサーン)のラーオ族なんかですね。
    カンボジアでもタイ国境近く、シェムリアップではラオス語で通じます。

    第二次大戦後のオーストリアは小さな国になってしまいましたが、イタリアに編入された国土もあったのですね。
    イタリアも枢軸国だったのにどういうわけか、興味深い情報です。

    いつか行ってみたいと思います。

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    第2次でなく、1次大戦の結果です

    一部、勘違い、思い違いされているコメントがありましたので、ひとこと。

    私は地理的人間で歴史は余りくわしくないのですが、第1次大戦での話です。古い話なので、大戦といえば大半の方が生まれる前の第2次を連想するのが普通ですが。

    1次では伊は日本と同様、英仏、米側だったのではないかと思います。

    独側はオーストリア(ハプスブルク帝国)、オスマン帝国などだったかと。敗戦で両帝国は解体され、オーストリアは今の領土だけに?、その際チェコスロバキアやハンガリー、ルーマニア、旧ユーゴなどは独立して、南チロルは伊に割譲だったかと。

    メラーノのホテルの主は独名のメランは・・・と決してメラーノとは言いませんでした。イタリア人とは言わず、イッヒ・ビン・ティロラー(私はチロル人)とチロル人を名乗っていました。国籍は変わってしまったが、本当はオーストリア人でいたかったのだなと感じました。

    ドイツ語系は伊では当然、超少数民族ですが、どこでも少数民族はいいというか、親しみを感じますね。台湾にはまったのも少数山岳民族との出会いですし、中国も少数民族の地はどこもいい思い出があります。言葉(中国語)の関係で、東南アジアはシンガポール、マレーシア止まりで、他はどこも最低一、ニ度は行ってますが詳しくはありません。
    ルアンパバンでラオス人にモン族は顔が日本人に似ているといわれたせいか、なぜかうまがあい、値切りもちょっとまけてもらう程度であまりできませんでした。

    伊は見どころが欧州一多いと思うので、伊旅行でドイツ語圏・南チロルまで足を延ばす人は数えるほどでしょう。ドロミテが世界遺産になってから、ドロミテだけは増えてるようですが。

    やはりオーストリア旅行でチロルから足を延ばすほうが可能性が高いようです。私もチロルの谷を制覇する途中で、谷の最奥まで行ったら伊との国境で、バスを乗り継いだらメラーノだったという出会いで、伊に割譲されるまではメラーノがチロルの都ということを知りました。

    高台にドルフ・チロル(チロル村)というチロルの発祥地もあります。アルプスが聳える、本場チロルより美しい村で観光化されたオーストリア側チロルよりいいかも。