Re^2: cat-policeさんネコです cat-policeさん、あれから早寝早起きですぐ寝てしまいました。 お早うございます。いま毎日の運動や掃除を全部終わりました。 男も50歳を過ぎる頃になると見かけ上は例外を除いては焼餅もやかなくなり、 場所提供で私の所へ見える方は50代の既婚女性が一番多いです。 しかし定年退職した60代の男が一番始末が悪いです。 近くでも唯家でごろごろ暇をもてあましている人は多いです。 私は機関銃では負傷していません。しかし玉が1メートル位の所を何回もかすめました。 しかしあの機関砲の甲高い連続音は今でも良く覚えています。 狙いは傍の機関車とわかっていましたので、怖いもの見たさに防空壕から顔を出して空を見上げました。 戦闘機は鹿島灘沖の航空母艦から発進したF6Fヘルキャットで超低空の為顔の形も良く見えました。 昨年イランの遺跡で飛んできた野生の鷲と同じ位の高さでした。 両親はそのときはいなく子供3人だけでしたが、機銃掃射が終わった後は私の家の上の電線が1本残らず切れ、薬きょうが一杯落ちていました。 私の従兄弟は陸軍の戦闘機乗りでしたが、後で聞いてみると日本の戦闘機は本土決戦に備えて迎撃せず、 長野のほうへ疎開してしまったと言っていました。 そのときは昭和20年で私が小学校(国民学校)6年のときで、負傷したのは、同級生の姉さんでした。狙われた機関車は水が噴出していましたが、機関手は下へもぐりこんで無事でした。 小学6年でしたが先生が戦争に行っていて少なくその日は午前中だけの授業で家にいました。 今では考えられないでしょうが、男だけ一組80人学級でした。それでも平和になれば無事卒業してそんなに学歴は無いですが、 今はその気になれば世界の果てまでも一人で行くことが出来る良い世の中になりました。 私は息子も皆さんと同じ考えですが、私は若い人ほど将来に対して全然悲観的ではありません。 明日の命もわからない戦時中に比べれば乞食のいない今の日本は天国です。しかし地球温暖化で暑くなるのは嫌いです。 わたしもわずかな戦争体験を子供に話しますが又聞いたと飽きられ気味です。 私の子供のときは年寄りから日清日露戦争の話を聞くのが楽しみでした。しかし戊辰戦争までさかのぼると又聞きになります。 真冬の旅順大連ツアーは安くて実物が見られてその点では良かったです。 マルタ島へ行った時は皆さんは余り行きませんが、 東部に在る第一次大戦で地中海に出動し戦死した日本海軍の第二特務艦隊の外人墓地へ行きました。 昭和40年頃綺麗に整備されました。 今は癌のCTの結果と12月の再検査を控えて執行猶予状態で、中南米縦断計画を延期して近くの国へ変更しようかと思案中です。 それでも寒い国優先になると思います。 一時考えたコーカサスかモンゴルから第二シベリア鉄道辺りかなといつもに似合わず優柔不断な現在です。
EAVOさん、興味深いお話、ほんとうにありがとうございました。 EAVOさん、興味深いお話、ほんとうにありがとうございました。 私は、中学生のとき、大岡昇平さんの「野火」を読んでからというもの、 年配の方に会う機会があれば、戦時中の事をよく尋ねます。 どれほど話を聞いても、または本を読んでも、実感だけは得られません。 私は戦後生まれなので、もし、仏教でいう輪廻転生があるならば、 どこかの国で一次大戦、二次大戦に関わっていたかもしれませんね。 人間は死んだときには、 どのような生まれかたを何千回したのか、すべて思い出すそうです。 変なことばかり書いてすいません。 そういうことを考えているときは、 一番自分らしいときです。 >>モンゴルから第二シベリア鉄道辺りか 中国からモンゴル抜けて、かな? いろいろ書きたいのですが、もう時間がありません。 また。