またまた定番の騒ぎが起きるかもしれませんが・・・ タマゴタマゴさん それともうひとつの理由と私が考えるのは、私たちはいつも周りを意識して暮らす、いわゆる<隣り百姓>気質があるからではないかと思います。 よく言われることですが、世界で最初の海外ツアーはトーマスクック社がロンドンでスイスの山の絵葉書を提示してこの景色を見に行こう・・と募集したんだそうですから、まあこのスタイルを馬鹿にすることはないのですが、でもこればっかりでは今の世の中もったいないと思う人があってもいいのでは、いや 確認作業だけで終わりにするのは勿体無いと思うのがある程度の思考能力をもってすれば当然の帰結だと思うのですが。 それがそう思わない・・という理由のひとつに、海外旅行へ行った事をひとつのステイタスシンボルと考えることが根底にあるのではと考えるようになりました。ということは出かけた所、見た場所を周りの人が知らない場所へは行っても無駄!と考える結果ではないかと。 取ってきた首の数を誇る首狩り族の戦士のようにまず誰もが知っている<首>、さらにその数。<首>を手に入れることによって手に入れることが出来る"これで私も人並み・・+&”感。 次はだんだん珍しい<首>がほしくなると<首>だけを集め始めます。 でも何はともあれ初めは・・みんなの知っている場所へ行ったというレッテル<スタンプ>を数多く集めることです。 ですから<スタンプ集めのお得旅>がツアーの主流であり、個人旅行といってもあわよくばそれより安く、沢山の場所へいけたら良いという同じ路線ばかりとなっているような気がします。 まあ みんな?がそれを望むのだから、それが正しい・・という素朴な民主主義?を持ち込むのならそれもまた幸せではありますが。 いろいろな人が住むいろいろな国のいろいろな風物、文化、生活に触れて少しづつ自分のなかに何かがたまっていく・・・そんな感覚を大切にするためはあんまり駆け足では物足りません。 気に入った本は時間の経過を経て何度も読み返す、ストーリーを追うだけの本も楽しいですが、読み込むことで見えてくる世界・・を楽しむ本もあります。いえそんな本を読んで楽しみたいと思っています。 ガイドブックからなんかずいぶん離れてしまいましたが・・・。
いえいえ、旅のスタイルの需要がガイドブックの質に影響もありだと思います。 仰る通り・・・・ 自分も海外旅行のし始めは誰もが知ってる有名スポットで一緒に 写真に収まり、そんな写真ををアチコチで増やして まるで、それがトロプィーのごとくアルバムに飾り周りに自慢♪の時代がありました。 暫くして、個人でも何とか行けるようになると 当然自由旅行なんで自分の趣味に合うところや以前訪問して興味が湧いた場所なんかっすが。 そういう処を(もっと情報が欲しくて)調べてみると 俄然、日本語のガイド本では記述も少ないって単純な事実に気が付きました。 多分、日本でのガイドブック需要が 定番だけを抑えた本来のガイドブックのダイジェスト版であっても 大勢の利用者には物足りなさも無いのでしょうね。 欧米ではトーマスクックが始めた お仕着せツアーから個人での自由旅行への移行でも 旅行者の層の広さや言葉の利もあってドンドンガイド本の内容も充実していったんでしょうね。 どういう旅のスタイルが○で×かではなく、 どれを選択してどんな旅程を組むか? のなかで、やはり多くの情報が手に入れば限られた日数ではあっても バリエーションは幅広く膨らみますね。 (情報が集まり過ぎて選別作業が大変になることもありますが) ジックリ腰を落ち着けて旅する楽しさももう1つの旅の王道と思います。 リーピーターさん達から得られるレアな情報もありがたいです。 ただただ、そうして集まる情報でも ガイドブックに紹介が無いと、最初から無視 又は聞く耳持たずでは、何とも勿体無いなぁ~と思うこの頃であります。 (よく、あるんっすョね 帰って来てから新たに分かり、あの時に知ってたらって残念になっちゃうことが)
ガイドブックの「質」ではなく「厚さ」が主題だったのでは? タマゴタマゴさん、おはようございます。 皆さんの議論、興味深く拝見しています。 タマゴタマゴさんの最初の疑問が、議論の進む中で、厚さが薄い=内容が少ない=掲示板参加者にとっては不足・・・となんとなく予想通りの展開です。 私はロンリープラネットは読んだことがありませんが、歩き方と、るるぶ系(地図が充実)を併用で個人旅行をしています。 この先はiPad系のタブレットPCの重量が軽量化するにつれ、ガイドブックが分厚くなる必要はないと思います。 口コミサイトの発達とか、今でもどんな街でも大抵はHPで詳細な情報が得られる・・・勿論まだまだ言語の壁はありますが・・・と思っています。 さて・・・失礼を承知で申し上げれば、「人それぞれの旅行スタイルがある」と認められながらも、どこか日本のガイドブックを十分と考えているパック旅行を、上から目線で見ている・・・そういう表現になっていると感じます。 >お仕着せツアーから個人での自由旅行への移行でも 表現評論家(とネット創世記に某掲示板で揶揄されました)としては、パック旅行を「お仕着せ」なんて表現されない方がよいと思います。 >どういう旅のスタイルが○で×かではなく、 と一応は「人それぞれの旅行スタイルがある」と認められながらも、どこか日本のガイドブックを十分と考えているパック旅行を、どこか上から目線で見ている・・・そういう表現がちらほら・・・と感じます。 失礼致しました。