レポート

RE: マチュピッチュとクスコ

公開日 : 2013年02月21日
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前回マチュピチュに行ったときも、今回も、マチュピチュの汽車から降りて第1歩目で、この村は日本人歓迎ってのが伝わってきます。今回は前回のようにクスコ日帰りではなく、マチュピチュで宿泊。時間的にも余裕ありで、村をノンビリと散策しながら、村の爺さん・婆さんとも会話ができました。中南米を旅行していると、メキシコを除きいつも通り際に投げかけられるように言われるのが「チーノ、チーノ(中国人)」。でもマチュピチュ村の爺さん・婆さんは「ハポネス(日本人)?」って好意の表情で。それで、その爺さん・婆さんたちと会話が始まり、ビックリするようなことを知りました。

何と、マチュピチュ村の歴史始まって以来の一人目(初代)の村長さんは、日本人のノガミさんだったのです。村役場にも行って、確認しましたが、ノガミさんでした。このノガミさん、さっき乗ってきた鉄道の建設に携わった方で、鉄道完成後、100人にも満たない人口の現地の人と激しい恋愛の末、結婚。マチュピチュに居残り、マチュピチュ村で一軒目の木造ホテル「ノガミ」を開業。鉄道の完成とともに新しい移民者(他地域からの流れ者)が増大する中で、現地の人と移民者が共存できるように努力し、それが認められ、村と昇格したマチュピチュの、その一人目の村長さんに住民全員の賛成で選ばれました。

そして、マチュピチュの存在を世界に知らす大影響を与えた人です。初期のマチュピチュ研究者もこのノガミさんなしでは、今日の業績は不可能であったと村の長老で言われています。遺跡だけなくマチュピチュ村に秩序と発展を築きあげる土台を作りあげたお方。晩年は、クスコで静かに死を迎えられました。

今、列車が到着毎に多くの日本人が。日本人観光者が乗っていない列車などないほどですでが、このノガミさんのお陰で、すべての日本人が、マチュピチュのすべての村民より温かい眼差しを感じての滞在。それが、口伝えに広がり、今日の日本人マチュピチュ観光ブームを作りあげているように考えさせられる次第です。

はっきり言って、マチュピチュ観光は、もう貧乏旅行者には無理なような値段にハネ上がっていますが、それでも、その値段に不服もなしでマチュピチュに来れて良かった、と感じまくる日本人訪問者、その背景に何かがあると、やっと理解できる糸口が見つかりました。訪問先から温かく迎えいれられる、これが感じなければ、いくら景色がよくとも、世界遺産であろうが、つまらないところになるのが。

ノガミさんの詳しい経歴など調べる時間もなかったですが、日本人としてお礼を申しあげるとともに、残された家族のご健康とご活躍を祈る次第です。ノガミさん、ありがとうございます。

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