インドから戻ってきました。 バラナシで、ボートこぎの人に教えられて、ガンジス川の対岸の砂をおみやげにもらってきました。神と一体である自分が砂を詰めないと意味がないとか何とか・・・その人は、外人の観光客がおみやげによくこの砂をもっていくと話していたようですが、砂に何か宗教的な意味とかあるのでしょうか?
Re: ガンジス川の砂について質問 まぁ、随分と希少な砂を持ち帰ってきたのですね・・・ ではその土産とやら、ボート漕ぎの人は何と言ったのですか? それはとても神聖なもの、或いは神と一体なものとかではなく、草花の生命さえ同化できない土地、その砂です。 つまり、imomushiさんは言われるがまま砂を持ち帰ってきたのだと思います、壺に入れて売られている水とは違います。 宗教、その方面のエキスパートではありませんが、ヒィンドゥ教2大派閥、シバ派とビシュヌ派がある中で、ヴァラナシィーはシバ派の最たる聖地です。 年間120万人のヒィンドゥ教徒が訪れる80ものガートは、一日3万人のヒィンドゥ教徒がお祈りします、今では観光客がそれ以上訪れますが。 ガートと言えば中心はダシャーシュワメード、意味は「馬10頭の生け贄」です。 熱心でありながら苦痛や欲望を表現しない宗教、それがヒィンドゥ教徒、将にバクティ(信愛)と呼ばれる所以ですね。 では、何故ヒィンドゥ教徒は対岸に行かないのでしょうか? ガイドブックでは不浄な土地、現地ではどうしようも無い土地、灰の土地、様々な言い方で揶揄されています。 現実には雨期の水深30メートル、乾期で10メートル弱、その格差があるガンガーの流れは乾期、薪代がなくて焼かれなかった人間の死体が浅瀬に乗り上げたりします。 ごく最近、対岸にテント小屋があるのを見ましたが、勝手に流れ着いた物を拾い集める人達だと聞きました。 そもそもボートは営業ですから、マニカルニカーや浮橋近くの博物館の往復を勧めまてきます、それは仕方ない事ですが、もう少し「ほぅー」「ほほー」の回答ではなく、パッカー入門のインドであるものの、宗教の聖地を訪れるなら、また訪れたならば事前事後に勉強しておきましょう。 歩き方によるとその場所は、ヴァラナシィー、バナーラス、カーシーと説明されてますが、マハーシュマシャーナ(大いなる火葬場)がシバ派の呼び名です。 砂の意味は上記の文面で察して下さい、個人のお土産は個人として自由だと思います。
はぁい・・ 私は英語は分かりませんが、神と一体なのはそのボートこぎの人みたいです。自分は毎日ここでお祈りをしているから、自分が砂を詰めなければ意味がないと言ったようです。ボートこぎの人にはこちらからお願いして対岸まで連れて行ってもらったんです。砂の意味は、ボートこぎの人しか分からないかもしれませんね(笑) あと、関係ない話しですが、歩き方には異教徒は入れないと書いてあった、バラナシのヒンズー寺院(ヴィシュワナート寺院)に入りました。なぜ入れたかご存知ですか?よく分からないままに入ってしまってほんとにインド人しかいなくて不思議な雰囲気でした。最後にガンジス川の水で錬ったクッキーなどを口に入れられました。他にも入った方おられるでしょうか?
宗教的な意味があると言えば、あります ご無事にお帰りのようで何よりです。 バナラシにて、ガンガーの対岸の砂ですか。 対岸というところに訳があると思うんですが ガートのある岸辺はまさに死者の焼き場のある側ですから 対岸になったのかと想像します。 ヒンドゥー教は輪廻転生を説く教えですからね で、死者の灰を流したガンガー、そして岸辺の砂には おのずから宗教的な意味合いが込められているとみて相違ありません。 インドの宗教については、ごく表層的なことしか知らないので あんまり突っ込まないでくださいね。(笑) ガンガーの水は売られていますね。 缶入りで、これも外人観光客の土産物として代表的なものです。 遠方から巡礼にやって来たインド人なら ガンガーの水は聖水として、必ず瓶に入れて持ち帰ります。 水ではなくて、砂には特別な意味合いがあるのかよく分かりません。 実際にインドを旅行するより、ネット検索を趣味にしているお方がいらっしやいますから ずばりとした返事が頂けるかもしれません。ご期待を。(笑)
ほほー はぁい。何とか無事に帰ってきましたぁ。 ホーリーは、バスの移動がストップするみたいだったので、バラナシは避けたのですが結局ネパールがホーリーでバスの中に水風船をぶっかけられました。 対岸の砂・・・なんかある人に供養した方がいいとか言われてちょっと恐くなってきました。誰か助けてください。
Re: 宗教的な意味があると言えば、あります 仏説摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経 ・・・あのガートの対岸は、人間もすんでいません=宗教的にあの世なのです。 病気も、死も、実体のある物(色)も無い世界(空)なのです。 分かるかな?わかんねーだろうなー?さすけねえもわかんない世界。
彼岸とは「あちら側」、此岸(こちら側)の反対なのです、それが「ガンがーの対岸」なのです。 http://homepage3.nifty.com/funahashi/sonota/hoka63.html 今夜の歩き方はすばらしい教養が満ちあふれるカキコになった。 南無阿弥陀仏(合掌)
数年前TVでガンガーの水を自分の集落に代表者が持って帰るというのを見ました 千葉県から福島県にかけて太平洋側に「潮汲み祭り」等と言われる祭があり、氏子が波3つ先の海水を桶に汲み=ご神体(又は同等品)というものです。 海砂は例えば唐津のクンチではお清め、博多祇園も海砂を「シオ」と呼び祭礼の道(=神のミユキの場所)清めます。 飛騨の高山では山砂ですが、赤土をアスファルトの上に撒きます。海がないからで全く同じです。 すべてがお清めで、それと同じ発想かも?それともただの商売か? インド人もびっくりだったりして。
ほぅ~ お清めですかね~特にお金をとられたとか言うわけではないのですが・・。ペットボトルに好きな分だけ詰めてくれました。 そういうことにしときます^^ ありがとうございますm(--)m