あの国の顔のひとつ、「笑顔の豊かさ」・・・ ロハス通りの遊歩道。マニラ湾に沈む夕日をぼんやりと眺めながら独りビールを飲んでいた。 近くにはちょっとした砂浜があった。お世辞にもきれいとはいえないそんな場所で、10人程の子供たちが水浴びをしていた。見たところ下は2歳から上は10歳といったところだ。皆、楽しそうに笑いながらはしゃいでいた。 彼らは、ストリートチルドレン・・・ 今日明日の食料の保証がない生活だ。 一台のパトカーが停まった。売上げの集金か?とおもった。 ところが降りてきた若い警官の手にはビニール袋が提げられていた。食べ物の様だ。警官はそれを子供の一人に渡した。少々楽しそうに会話を交わしその場を去っていった。 フィリピンの警察は腐りきっている。そんな固定観念があっただけに、目の前の光景には驚いた。 今思えば、警官はあの子供たちの兄弟か何かだったのだろうか。 経済的には貧しい彼等だが、あの笑顔と助け合って生きようとする強さは、我々日本人の多くにはあり得ないことだろう。そして彼等には、年間数万人が自殺でさきを急ぐこの近年の日本を理解できないだろう。 日本にも貧しい時代はあった。成功したものが家族や親戚の面倒をみる。 しかし、あそこまでの笑顔は果たしてあったのだろうか。
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フィリピンの笑顔 大統領、フィリピンの子供たちのような笑顔はかつての日本にもあったと思いますよ。少なくとも自分の子供の頃まではあった。 誰か知らないひとに会ったとき、笑いかけたり、会釈をしたりすることは、すごく自然な行いだった。それが、年収何百万とか煽る広告が大手を振ってまかり通るようになりはじめた頃から、日本では笑顔はお金で買うようになっていった。 一時が万事「キモチよければ金払う」のがいまの日本だけれど、フィリピンでは気持ちよくなるのに金はいらないんですね。逆に金を払ってるのはバカだ。生きるということがどういうことか、ということだ。逆にいえば、金を払うということは生きるということではない。 死に急ぐひとは、本当に生きていない、と私は思います。