07/02/22 15:54

第一次世界大戦のころのDas Deutsche Reich

>もっともその当時(第一次世界大戦当時、引用者注)は ドイツは有力貴族によるほとんど分割統治でまとまった国ではなかったようです。 外に向けては強かったですが・・。

有力貴族というとちょっと語弊がある...有力諸侯というか領邦君主というか。

大きな話をすると大変なのでこの地方に限って言うと、プロイセン王を皇帝とする連邦帝国という形態をとっていたドイツ(帝)国にあって、この地はバイエルン王国。王家はかの有名なノイシュバンシュタイン城などお城造りに没頭し散財したので、家来に幽閉されてしまったルードヴィヒ2世(この人がビスマルクのお膳立てでホーエンツォレルン家のヴィルヘルム1世を皇帝に推戴したらしいですね)や日本にもファンが多い、シシーことエリザベト・オーストリア皇妃を輩出(?)したヴィッテルスバハ家。

しかしバイエルン強かったかな? 大昔はともかく、近世に入っては負け続けじゃなかったですか?

>つまり 東ドイツとの境20キロぐらいの幅で めぼしい経済投資は一切していなかったのです。

ローテンブルクが両ドイツ国境に近接していたから発展から取り残されたというなら、それより大きな街であるヴュルツブルクやニュルンベルクの方がもっと国境に近いことの説明がつかないのではありませんか。

わたしもちょっとこだわってみました。

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1件のコメント

  • ・・・・

    ですからヴュルツブルクもニュルンベルグ(これは少々事情が違いますが)も西ドイツの経済発展から取り残されていました・・。

    当時は ライン川沿岸とハンブルグエリアが中心だったと記憶しています。 戦後の空白からの立ち上がり状況をいっているのですが・・・。

    ・・・。

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    07/02/22 16:23

    それは違うでしょx2

    それは違うでしょ
    その1、ニュルンベルク
    ヴュルツブルクはともかく、ニュルンベルクが経済発展から取り残されていたとは、それはないでしょ。もちろんここよりも発展した地域もあったでしょうが、だからと言って経済後進地域ということはない。農業国と見られがち(実際そうなんですが)なバイエルンにあって、ミュンヒェン、アウクスブルク、ニュルンベルクは一大先進工業地域です。これは戦前、戦中、戦後を通じて変わらない事実です。

    両ドイツ国境に近いために投資が控えられたと言う事実も聞いたことがありません。

    その2、ロマンティッシェ・シュトラーセ
    例えばネルトリンゲンを例にとって、あの地域の後進性(ちゅうとちょっと語弊がありますが、要は工業化に取り残されたこと)は第二次世界大戦後の地政学的な条件とは関係ありません。もしそうであるならば、あのような城壁が未だに残るはずがありません。ベルリンですら19世紀前半にはまだ市壁を残していましたが(ブランデンブルク門やポツダム広場などはその頃の名残です)、ほとんどすべての都市で20世紀初頭までには市壁は取り除かれています。

    要は必要がなくなった(防衛は統一ドイツ国家の役割になり、個々の都市や領邦国家で城壁の中に閉じこもる必要がなくなった+火器、兵器の発達により城壁のもつ軍事上の機能が失われた)のと、邪魔になった(増え続ける人口を旧来の市域に収容できなくなった)ので、市壁、撤去せざるを得なかったのです。

    ロマンティック街道の諸都市に未だに城壁が残っているということは、その撤去をさまるような発展が19世紀から20世紀初頭にかけてなかったことの証拠です。それを両ドイツ国境への近さに関連付けるのは説明に無理があるとわたしは思います。