ロマンティック街道と古城街道・・・昔話

まだドイツが東西に分かれていて 西半分がようよう再建が軌道に乗り体制が整い始めた頃 米国からのルーツさがし旅行団がこの地を席捲した時代がありました。

しかし 東ドイツとの緊張がはげしくその国境に近い地域の経済発展は遅れていたので 戦前の雰囲気をたたえた街や村がそのまま残されていました。

そこに目を付けたドイツ観光局が 交通の不便な取り残されたエリアをつないだ観光ルートを作成して 売り出しました。

いわく メルヘン街道、ロマンティック街道(ロマンティッシュ・ストラッセ)・ワイン街道・古城街道・エリカ街道・・・。

当たった街道のトップが ロマンティック街道で ウリュツブルグから
ウイーズまでで マリーアントワネットのお嫁入りコースとほぼ一緒です。

古城街道は フランクフルト/ハイデルベルグ/・・・終点は忘れましたが昔の川交通の関所のお城群をつないだルートですが 実は下を走っている道路からはスグ頭の上の山の上のお城はほとんど見えない・・・のです。

で 忙がしい旅の大好きな日本の旅行やさんが 戦前から人気のあった
ハイデルベルグをムリにロマンティック街道に結び付けてバスで走らせた・・・のが 貴方がお考えのショートカットルートなのです。

ですから もともと公共交通機関が不便な所をつなげた 無理やり?観光ルートですから どうしてもスムースとはいかないのです。

ロマンティック街道も今では アウトバーンで突っ走る事になってますが 実は昔からの街道が並行して走っていて その途中には それこそ昔ながらの 街や村がしっかり存在しています。

例えば ローテンブルグですが 時間があれば、いえ ゼヒ時間を作って 少しはなれた場所から岡の上にある町を眺めて下さい。

ディンケンスビュール、ネルドリンゲンなどは それこそ100年戦争当時のままの町です。 あっ そうそう、 有名なローテンブルグは 第2次世界大戦で完全に破壊された町を みんなして昔のままに復興させた町なのです。 町の小路や 古い城壁の上の遊歩道?をたどると・・
現代のドイツのいろいろな面が見えてきます。

走り抜けるか、とどまるか・・・。 さて 貴方の自由ですが・・。

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2件のコメント

  • 07/02/22 17:51

    お嫁入りコース

    >ロマンティック街道で ウリュツブルグからウイーズまでで マリーアントワネットのお嫁入りコースとほぼ一緒です。

    わたしもこの件には前々から興味があったので、この際だから調べてみました。

    まずMarie Antoinette、ドイツ語というかお嫁入り前の本名はMaria Antonia Josefa Johanna von Habsburg-Lothringen 。

    で彼女の「お嫁入りコース」

    >Es fuhr die Donau entlang und über München und Augsburg gelangte es u.a. nach Günzburg, Ulm und Freiburg im Breisgau in Vorderösterreich.

    「ドナウ川に沿って、さらにミュンヒェン、アウクスブルクを経てギュンツブルク、ウルム、フライブルクに達する」

    大小さまざまな領邦国家が複雑に入り組んだドイツを旅するのに、カトリックの地のみを選んで通るのは無理だったのか、プロテスタントの地にも足を踏み入れているようです。しかしドナウ川からミュンヒェンを経てアウクスブルクと言うことは、どうもロマンチック街道とは重ならないようです。

    意外と調べても出て来ないんですよね、こう言うのって...

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  • 07/02/22 14:24

    ロマンティック街道(ロマンティッシェ・「シュ」トラーセ)

    まあだいたいおっしゃる通りだと思いますが...

    >しかし 東ドイツとの緊張がはげしくその国境に近い地域の経済発展は遅れていたので 戦前の雰囲気をたたえた街や村がそのまま残されていました。

    Romantische Straßeロマンティッシ「ェ」・「シュ」トラ「ー」セは東西分裂による後進地域(?)には該当しないでしょ。あそこは産業革命あたりから発展に取り残された地域で、だからこそ昔の町並みがあり、Nördlingenのように街を囲む城壁が残っているのです。産業革命や近代の工業化に乗かった街は、市壁の中だけで土地のやりくりがつかなくなって、遅くとも19世紀の末に市壁を取り払っています。

    >ウリュツブルグからウイーズまでで マリーアントワネットのお嫁入りコースとほぼ一緒です。

    まず例によって地名の読みを訂正「ヴュルツブルク」に「ヴィース」。

    マリーアントワネットは今映画があたって注目を集めているようですね。しかし彼女のお嫁入りにこのコースが使われたのは知りませんでした。ウィーンの宮廷からパリに行くのにずいぶんと回り道をしたのですね。途中にはハプスブルクとは相容れない新教の街もあったでしょうに。

    >もともと公共交通機関が不便な所をつなげた 無理やり?観光ルートですからどうしてもスムースとはいかないのです。

    ディンケルスビュールがネックですね。20年くらい前に鉄道が廃止されてからは、バスしか交響交通機関がありませんから。かと言ってルートからはずしてしまうのは惜しい気もします。

    ちなみに手元にあるDB(とは言ってもまだ民営化前のDeutsche Bundesbahn ドイツ連邦鉄道です)の古い時刻表(85/86)を見るとかってはRothenburg o.d.T.からDombühl、Dinkelsbühlを経てNördlingenまで鉄道があったようです。

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    ちょっと付けたさせて下さい。

    ドイツの東西間の緊張は壁の崩される数年前までかなり激しいものがあり スイスなどでもリヒテンシュタイン(これでよろしいですか)との国境のライン川の中に 対戦車用のバリケードがせりあがるようになっていたほどです。

    ですから いま皆さんがロンマンティック街道だといって突っ走るアウトバーンは この20年ぐらいのものでした。 つまり 東ドイツとの境20キロぐらいの幅で めぼしい経済投資は一切していなかったのです。

    もともと ローテンブルグにはドイツ帝国最強の連隊があったところです。・・第一次世界大戦当時ですぞ・・・。

    もっともその当時は ドイツは有力貴族によるほとんど分割統治でまとまった国ではなかったようです。 外に向けては強かったですが・・。

    ですから 護るに強い城壁がシッカリ残っていたのです。

    ご承知のように戦前は 旧東ドイツの方が文化的にも産業的にも一歩も二歩も先を歩いていたんですから・・。 そういう意味では ライン川地区とのハザマではありましたが・・・。

    ・・・とまあ すこしシツッコカッタかもしれませんね。