レポート

韓国から中国へ。山東半島煙台から黄海を渡る。

公開日 : 2005年08月20日
最終更新 :

その1 仁川空港から中国山東半島煙台空港へ。両替をする。
11時45分発中国東方航空で韓国仁川空港を出発。
1時間の時差があるので、現地時間11時45分に到着した。
1年ぶりの煙台空港。
日本人は私一人のようだ。
荷物が一つだけなので身軽なのか、入国審査を終えて外に出るのが早い。
両替場所は聞いてみたがやはり空港にはない。
手持ちの元がなければ、街へも行けないローカル国際空港だ。
国際線ターミナルの外に出るが、中国東方航空のマークのマイクロバスが停車していた。
もしやと思い、そこへ行ってみたが、やはりリムジンではなく乗務員用のようだ。
期待を裏切らないのがいいとこだ。
そこであっちのバスに乗れという。
少し離れた国内線ターミナルの出口にちょうど、上海からの国内便が到着していて人の出入りがあり、その国内線の出口に古いバスが止まっている。
国際線のためのリムジンバスは存在しない。
そこまで歩いていって、バスで、値段を聞くと10元だという。
昨年手持ちの元を残しておいたのが役に立つ。
市内から、タクシーで30元だったことを思えば割高なバスだ。
国内便の利用客が出きったところでバスは出発した。
空港を出るとすぐに幹線道路で片側3車線のきれいな道路だ。
何カ所かでバスは停車し、乗客を降ろしていく。
最後は、煙台長途汽車站、煙台火車站 の順で停車する。
昨年、帰国のための出国ができず、3日間も滞在したの出町の様子はわかっている。
とりあえず、降車する。
さて、次は両替だ。
目の前には古い中国銀行の看板の建物はあるのだが、今の中国では中国銀行でさえスクラップアンドビルドが多く、移転が多く、迷うことがある。
とりあえず、適当にどこにあるか聞いてみながら、中国銀行にたどりついた。新しい高層ビルの一階に移転していた。
ここで3万円を両替したが、6.99でやはり、1万円当たり700元を切っていた。ここで2100元弱を手にしたわけである。
この金で、どこまで旅行できるか楽しみだ。
とりあえず、煙台火車站のすぐ前にある古い建物のフェリー乗り場に向かう。
今日の目標は、船で黄海を渡り、遼東半島の大連へ向かうことだ。







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1件のコメント

  • 煙台港で大連行きのフェリーの切符を買う。-みなみやま中国遼寧・大同・甘粛・山東旅行記その2

    煙台港客站は古い天井の高い建物。
    中は、省エネのため薄暗い。
    奥の案内へとりあえず行く。
    すると、窓口を教えてくれた。
    それで、適当に、大連までの高速艇はないかというと「没有!」。
    持参した、ネットで探した時刻表とは、全く違う。
    他はないかと行くと「没有!」。
    しかし、明天(明日)はどうかと聞いているうちに・・・・。
    今天(今日)、フェリーがあるらしい。
    何せ、中国語はわからないのだからしかたない。
    エコノミーとか適当に言うと15時発の169元3等Aという切符をくれた。
    少し高いと思ったが3等で納得。正解だった。
    予定では夜9時には大連に着きそうだ。
    切符は、鉄路と同じスタイルの切符。コンピューター打ち出しで少しほっとする。これで、大連は行ける。

    煙台港客站の様子を見ようと、とりあえずターミナルの二階へ。
    長い廊下を歩いて、荷物の赤外線チェックを受けて広いがらんとした待合室。
    船が横付けしているのが様子がわかったので、また切符売り場まで戻って食事にする。

    外に出ると食堂が数軒、スタイルは魚介が生かしてあって海鮮レストラン。
    1軒に入る。
    値段を聞くと高そうなのでいいというと、皿に卵に2個卵を載せてくる。
    5元だという。
    じゃあそれで。
    ビールを昼間から注文。
    すると店先の瓶ビールを数本くくったひもを切って持ってくる。
    当然冷えていない。
    郷に入ったら郷に従え。たぶん2.7元ぐらい。
    相場だ。

    料理が来た。ホンマに卵だけの炒飯。
    味はする。正解か?(笑)
    中国最初の料理だった。
    炒飯となまぬるいビールで昼食となった。
    ここで、時計を中国時間にあわせて、1時間遅らせた。
    ここから、いよいよ未知の中国国内フェリーの旅が始まるのだ。
    すべて、行きあたりばったりの旅行が始まった。








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    中国で乗ったフェリーと出会い-みなみやま中国遼寧・大同・甘粛・山東旅行記その3

    乗船の改札が始まった。
    そのままフェリーターミナルを出て、階段を下りて岸壁へ。
    タラップを昇って、少し古いフェリーに乗る。
    船名は「誠海輪渡(フェリー)」。
    船内に入ってみるとあとでわかったのだが、この船は関西汽船の旧生駒丸。
    そこら中に日本語と船名のパネルが残る。
    第一、トイレの便器がTOTOだ。
    船室は3等Bが大部屋の二段ベッド。で、3等のAはその下の階。
    一部屋二人の2段ベット。個室だ。
    他に、座席のみチケットもある。
    それから、「散席」が一番安かったが、これは自由席というか甲板にシートを敷いて適当に座る席のようだ。
    さすがに、これにしなくて良かった。

    船内は、満員だ。
    いよいよ出航だ。
    6時間の予定。
    船は、煙台港をあとにして湾外に出た。
    穏やかな海を見ながら、これからの未知の中国旅行に感慨はひとしおだった。

    船室に戻ると、相部屋のの男性と自然に会話が生まれた。
    お互い片言の英語だ。
    彼は工業用ロボットの高級エンジニアで出張の帰りでこれから瀋陽に戻ると云うことだった。普通の人である。
    やはり、3等A席はそれなりの人が乗るようだ。
    それで、大連から瀋陽まで列車に乗るので一緒に駅まで行こうと言うことになった。
    たぶん。(十分な会話力がないので、結果から想像して・・・)

    それから、この船のことだが、初めて乗った船だがなぜか安心できた。
    それは、旧日本のフェリーということで、改装はしてあるが、構造はそのまま。
    不思議に、安心できるのだ。おもしろいものである。
    乗船者は、さすがに千差万別。
    今の中国社会の縮図のような面も見えた。

    黄海の航行は、さすがにしばらくは陸地が見えない時間が続いた。
    日清戦争の時の黄海海戦のことをイメージに刷り込んだ。
    外も暗くなり、大連の街明かりが見えた頃にはすでに
    夜9時を回っていた。
    所要時間は約7時間。現地時間10時。
    着いたところは、普通の工業用資材の陸揚げ用岸壁。
    ターミナルなど全くない。
    さてどうなるのか。
    下船のための乗客の列に並んだ。
    背の高い同乗の警官が列を乱しがちなマナーの悪い乗客に盛んに並べと指示を出していた。
    この1時間遅れは、このあとの意外な展開が待っていた。