スイスにたいする思い入れ

内蔵介様からレスいただいておりましたのに、網がゴチャゴチャしていまい(本当に有り難いことです)読み残しておりました。ごめんなさい。

内蔵介様は最初にスイスを鉄道で回られたのが鉄道オタク(?ごめんなさい)の始まりなんですか? よほど強く印象に残ったのですね。

それに比べると私は恥ずかしい! スイスには2度ほどツアーで行っていますが、ほんと頭の中でスイスの山も、湖も、花も、町もすべてごっちゃ混ぜになっておりどこに行ったのかも詳しく覚えていないありさまです。

でも、今回スイス初個人旅行デビューに当たって前の記録を調べたらほとんどのところに行っているんですね。氷河特急(全線通過乗車証明書あり)、ベルニナ線、ツェルマット、グリンデルバルド、アイガー、ユングフラウ……。
ツアーと個人旅行では思い入れがこんなに違うものかとつくづく思いました。自分で旅行地を調べることは本当に大切ですね。

これから私がスイスを旅行する時はヒモトキ(?以前の景色を思い出す)旅行になるかもしれません。それはそれで楽しいと思いますが…。

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1件のコメント

  • Re: スイスにたいする思い入れ

    frau.goemonさん、いつかは会話も終わりますので気になさらないでください。

    普通の人から見ると鉄道オタク(ヲタク)に分類されても仕方ありませんが、実際は多趣味です。鉄道ファンはスイスよりもっと古く・・大学生の・・昭和49年ころからでしょうか・・。

    きっかけは・・関西人の私が初めて東京より東と言うか北と言うか・・・十和田湖に行った際、電気機関車の色が違っていた事からです。(恐らく・・・意味不明ですよね?)

    スイスの鉄道の魅力の第一は・・・日本国鉄なら避けて通るような峠や坂道を、スイスの場合トンネルではなく、観光のため、また仕方ないとは言え強引にラックレールでよじ登ったり、つづら折れの線路を敷いたり、石で橋脚を作ったり・・・なんとか景色を残そうとする・・・それも100年も前に・・と言うことです。

    昨今のTVで「驚愕の」なんて形容詞は食傷気味ですが、私にとってグリンデルワルド-クライネシャィディック-ラウターブルンネンの周回コースは
    正に「驚愕」でした。

    特にウェンゲン駅停車中、覗き込んだ谷間のラウターブルンネンからミューレーンに登るケーブルカーの線路が、平地を走るただの線路に見えたのです。それが・・急坂を登るケーブルカーとは・・・コレまで経験も、想像もしたことの無い高さのため、私の脳が理解できなかったがある種ショックでした。

    >それに比べると私は恥ずかしい! スイスには2度ほどツアーで行っていますが、ほんと頭の中でスイスの山も、湖も、花も、町もすべてごっちゃ混ぜになっておりどこに行ったのかも詳しく覚えていないありさまです。

    をを、すでに2度も。しかもかなり乗られていますね。
    そういう意味では日本のツアーも要所は押さえていますねえ。

    >ツアーと個人旅行では思い入れがこんなに違うものかとつくづく思いました。自分で旅行地を調べることは本当に大切ですね。

    いや、仰せの通りです。
    ツアーは社員旅行で沖縄やグアムに行きましたが、地図も買わないし、お酒を飲んでわいわい・・まあ、それもまた楽しからずや・・です。

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    ささやかな鉄道知識ですが

    鉄道の話題から連想したスイス鉄道に関係する少ない知識をご披露します。既にご承知かと思いますが・・・・。
    ・ユングフラウ鉄道:グリンデルヴァルトからとラウターブルンネンからクライネシャイデックへの線は始めは蒸気機関車で1891年から動いたが1909年から電化された。それがなんと先駆的な交流電化だった。しかも3相!。コルナーグラート鉄道もだが。交流を採用した理由の一つが送電線のコストだったらしい。また主にこの鉄道のためにラウターブルンネンに最初の水力発電所ができた。
    ・ユングフラウまでの延長:1894年に免許をとり開通したのは1912年で工事は16年かかった。この線の開通はずっと前からの夢で、その当時毎の技術のレベルの違いから初期にはエッフェル塔の成功を真似て高い塔を建ててそこから水平にロ-プウェイで移動するとか、当時事務用に使っていた気送管の大型版で客室を圧送するなどという奇抜な物もあった。
    博物館で:確かミュンヘンのドイツ博物館だったと思うのですが(ニュールンベルクの鉄道博物館だったかも知れません)ベルニナ線のループとトンネルを使って急勾配をいかに克服したかを模型を使って説明しておりました。

    お粗末