Re^2: アロイスカリジェかSt.ゴッタルド越えか その2

内蔵介どの  

このルートってフルカ峠越えルート以前ではどうもローヌの谷からアンデルマット経由、ルッツエルンへ降りるメインルートだったらしいのです。 ですからこんな不思議なポストバスコースがいまだに健在なんだとか。 今年はポストバス100年?とかで 昔の馬車を走らせるとか・・・。

その不便さを解消するためにたとえ夏の間だけとは言え 執念のフルカ峠越えの線路を通したのですから このルートは立派に貴殿!の縄張りであると思うんですが・・・。

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1件のコメント

  • Re^3: アロイスカリジェかSt.ゴッタルド越えか その2

    ぼうふらおじさん、こんばんわ。

    >その不便さを解消するためにたとえ夏の間だけとは言え 執念のフルカ峠越えの線路を通したのですから 

    なるほど・・ローヌの谷からルッツエルンへ行く際にはゴッタルト峠とフルカ峠はワンセットだったんですね。
    でオーバーワルトーアンデルマットからフルカ峠越えと、アンデルマットーゲッシェネン間が鉄道で接続されている・・・理解できて来ました。

    これは次回は「乗るべき」路線になりそうです。

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    ついでにアヤシゲナ怪説・・・あれ?

    で 第2次世界大戦でヒトラーがスイスを脅かしたら ゴッタルドトンネルを爆破してこの地にスイス国民軍を終結させ徹底抗戦する・・・と開き直ったとか・・・。 

    東西冷戦の最中・・・今もですがアンデルマットからゲシェネンへ降りるすぐの右側は兵舎です。 しかもめずらしく1年中常駐・・・当たり前ですね。

    ローヌとラインの両方の谷ともすこし大きな町(駅)を地図でよく見ると決まって南北にイタリアへの峠と北側のヨーロッパ平原へつながる峠が見つかります。 そしてその主だった峠をお得意のトンネルをぶち抜いて・・・、またはエッチラオッチラ鉄道を通した。

    ですから伊達や酔狂じゃなく 必死でいまも維持してる・・・と考えています。 鉄道ファンならずともゴヒイキの理由かも・・。