Rheinland-Pfalz/Saarland-Ticket ついでがあってRheinland-Pfalz/Saarland-Ticketのことを調べていました。 いまちょうど話題のモーゼル川流域をカヴァーしているので、このパスがあると川沿をバスや鉄道でずっと景色を眺めながら移動できそうです http://www.bahn.de/regional/view/mdb/pv/planen_buchen/liniennetzkarten/2011/MDB90167-liniennetz_suedwest_2011.pdf (この路線図のRMVの区域とKVV、RNN、VRNのそれぞれライン川右岸を除く地域のバスや鉄道(ICE、EC、ICを除く)に使えるそうです)。 いま説明を読んでいて気がついたのですが、この前使った時は1人用と5人まで使えるのとの二本立てだったはずが、今は基本(1人用)21オイロに1人増える毎に4オイロ追加に変わっています。 さて「レポート」はこのへんにして、 >私は、専らD××Q、B×××Tあたりです。何せ、ご近所ですし、昔なじみですので。 せっかく伏せ字になさっているのに、全部アルファベットを入れて書いてしまいましょう。Donqは学校の同窓生が勤めていてパンだか、ケーキを焼いています。値段も手ごろでおいしいですね。Bigotは国道の夙川と森具の間(「細雪」にも出て来ます、この地名)に大きなお店ができましたが、本店は本当に小さくて知らなかったら通り過ぎてしまいそう。 かって芦屋の生協が自前の建物にあった頃、付設のパン屋さんが本格的なドイツパンも置いていて、わざわざ家から歩いて買いに行きましたが、いつの間にか普通のパン屋さんになってしまいました。あの辺も随分雰囲気が変わりましたね、山手幹線が全通してから。 今は昨日書いた大澤とか淡河や、家の近所では例のドイツパンのパン屋さんや住吉の生協でよく買ってます。
Re: Rheinland-Pfalz/Saarland-Ticket/路線図見てみました。 PP&Mさん、こんにちは。 Rheinland-Pfalz/Saarland-Ticketの路線図見てみました。 けっこう広い地域をカバーしていますね。 こういうのを駆使してゆっくり旅ができる日が来るといいのですが.... ~ところで、パン屋さん。 ははは....阪神間に住んでいれば、伏せ字にしてもあまりに自明の名前ですよね。 DONQは、子どものころから三宮の喫茶店で休憩したり、岡本の店でパンやケーキを買ったり、古い馴染みです。 以前も掲示板に書いたことがあるのですが、ここのパンの袋がパリの市街図だったのですよね、それを飽かず眺めては遠いフランスに想いを馳せていたものでした........フランス語の綴りの読み方も、これでだいぶん勉強しました! BIGOTさんとは、結婚後のおつきあいです。 確か、今のラリーブ?あたりにも1軒あったと想うのですが、あれはいつの間にかなくなっていました。今は、芦屋の大丸で買うことが多いです。 夙川の店は知っています、2号線の店がなくなったんですよね.....確か、その代わりだったと思います。 え~っと、ところで本店ってどこのことでしょう?? (案外知らない気がしてきました!) 少し前に、日経の夕刊に、BIGOTさんの自伝?が掲載されていましたが、読まれました? 異国で奮闘、いろいろなことがあったはずですが、縁のあったDONQにあくまで敬意を表して崩すところがなかったことに感銘を受けました。 DONQ、BIGOT、と、良いお店を持っているのはほんとに幸せ~ ところで、残念ながら、生協さんのその古いパンは知らないです。 私の実家のあたりは、灘生協(って言っていたかな?)の店が出ておらず、あまり馴染みがなかったのです。 それで、結婚してからもしばらく生協さんに行くことはなてく、ずっと市場(古典的!)ですませていました。 子どもがちょっと大きくなってから2~3度行きましたが、さて、それが現在のどこになるかというと.....? 思うんですけれど、南北の道、今、山手幹線を底辺に逆T字路になっていて、東がセブンイレブン西がみなと銀行のあの道は、昔から変わっていませんよね? 確か、生協さんはあの道の東角にあったと思うのです。 ただ、山手幹線が、以前の東西の道のどのあたりにどうできたか、というと、もう本当に記憶が定かではないです。大丸北の今のロータリーはなかったはずですから、.....全体にもっと南に寄っていたでしょうね。 私は、その生協さんの店の東側にあった空き地の自転車置き場で、とめていた自転車の荷台のゴム紐を盗られたことがあります! けっちくさい泥棒でしょう!? 生まれて初めてものを盗られたので(笑)けっこうショックでした! ~内蔵介さんが翠ヶ丘にお住まいだったとは! 翠ヶ丘こそ、山手幹線でほんとうに変わってしまいましたよね! 阿保親王塚のあたり、全然わけがわからなくなりました! 山手幹線が開通するまでは、西宮に行くのに、運転したくないようなせまい抜け道を通って夙川の教会のあたりに出ていましたよね、タクシーで何度か通ったことがあります。 山手幹線の開通、私も、自分の目の黒いうちは絶対ない、と思っていました! 何せ戦前の軍用道路の計画ですよね、官僚おそるべし、撤退という文字は辞書に無い。 車で東の方に出かけての帰り、夙川から下りてくるのが好きです。西に向かって大きく視界が開けますでしょう? 翠ヶ丘という地名が文字通り丘であるこを実感しますよね。 ~ところで、私もいまだにもちろん『星電社』ですよ! セイデンなんて落ち着きが悪くて~ でも、今はヤマダデンキになってしまったのかしら??(涙)
芦屋生協のパン屋さん・・・・な、懐かしい。 PP&Mさん、こんにちわ。 >かって芦屋の生協が自前の建物にあった頃、付設のパン屋さんが本格的なドイツパンも置いていて、わざわざ家から歩いて買いに行きましたが、いつの間にか普通のパン屋さんになってしまいました。あの辺も随分雰囲気が変わりましたね、山手幹線が全通してから。 私多分知っています。 昭和50年頃、父親の勤務の関係で西宮から芦屋市翠が丘に移動し、1年間住んでいましたが、生協は母親が買い物によく行っていました。 母親がそのパン屋さんで買っていたイギリスパンは田舎モノには二度目の衝撃的な味でした。 人気が高いので大抵予約だったようで、何度か焼き上がる時間に自転車で取りに行ったことがあります。 お客さんの服装がまたハイセンスで、中にはお手伝いさんを従えたマダムもちらほら・・・長髪でGパン、Tシャツ姿の学生には不似合い・・・と思ったものです。 初めての衝撃はDonqのフランスパン、未だに愛してやまないパンですが、他のパンはコストパフォーマンスがが悪いため自分では買いません。 >あの辺も随分雰囲気が変わりましたね、山手幹線が全通してから。 どの辺だったのか想像がつきません。 今も同じ場所にあるのは竹園くらいでしょうか?
こっちから反応があるとは?! 内蔵介さん、こんにちは。 いやはやびっくりです、反応していただいて。 >どの辺だったのか想像がつきません。 わたしも実はわからないのです。山手幹線は当時(19*0年頃)造りかけでまだ道路の体をなしていませんでした。ところどころに建設予定地の空き地があった程度。前にも書きましたが、絶対できない、全通しないと思っていましたよ、自分が生きている間には。 元の芦屋の生協はその建設予定地よりさらに山側だったと思います。 >今も同じ場所にあるのは竹園くらいでしょうか? この間寄り合いで行ってきました、竹園。始めてですよ、ん十年近所(?)に暮らしていて、あそこを使うのは。うちの奥さんは結婚する時あそこの美容室で髪をしてもらいましたので、「***家」としては使ったことはあるんですけどね。貧乏な寄り合いでしたのに、親切によくしてくれました。 で、その竹園に、大衆食堂みたいな「別館」があったんです、もっと山側に。ほんと大衆食堂です。おそらく昼しかやってなかったんじゃないかな。で献立は一品だけ。店に入って人数言って座るだけで、すぐに食事が出てくるんです。まあ肉の竹園だけあっておいしかったですけど、すごく安いのに。 元の生協はその「別館」から下りてすぐ次の角にあったと思います。 ちなみにわたしら子供の頃は「くみあいマーケット」と言うてました。それから上の昔話の頃「生協(さん)」になって今は「コープ(さん)」ですね。わたしら「星電社」ってフルネームで言わんと口が気持ち悪い。「せいでん」なんて絶対言いません(ましてアムス、コペン、ローテン...をや)。