ミャンマーから帰国し、島根の自宅に帰ってきました。 現在、ミャンマー旅行は年に一回のみです。 知り合いを訪ねたりするので、同じ街ばかり訪問しているために大した情報は提供できずに心苦しいですが、時間のある方は読んで下さい。少しずつ書いていきたいと思います。 今年のミャンマー旅行は年末のみですが、来年度のゴールデンウイークは、念願のインドへの国境越えを計画しています。日本酒と線香を持って、インパールとコヒマを訪れてみたいと思っています。 また、ラムリー島方面も視野に入っています。
メッティーラからマンダレー空港へ。 以前利用した事がある、朝5時発のマイクロバスに乗ってマンダレーに向かおうと思いましたが、マイクロバスはなくバンに変わっていました。 乗り場は、バススタンドのそばです。 このバンは決まった時間に出発するタイプではありませんでした。 4時20分くらいに乗り場に到着。 客は私ひとりでした。料金は10000K。 客はなかなか集まりませんでした。 出発したのは、5時41分。 客は私を含めて、3人でした。 客を集めながらゆっくり進みます。 客が集まり始め、車のスピードが上がりました。 マンダレー到着は、8時33分。 ドライバーが「どこへ行く?」と、聞いてきたので、「バススタンド。」と言いました。 降ろされたのは、バススタンドの近くだと思います。 ドライバーが、「バススタンドまで歩いて3分くらいだ。」と言いました。 車は走り去りました。 この車の終着地点は分かりません。 チェックインまで時間があるので茶店で時間を潰し、空港まではスリーウィーで移動しました。 料金は、13000K。言い値は、16000Kでした。 所要40分。
PG710のチェックイン開始時間。 PG710-JL728と乗り継いで帰国しました。 出発時間は14時30分ですが、チェックインが始まったのは12時15分です。 遅いですね。 アナウンスがありましたが、モニターには案内は出ません。
貧しい人は、学校に通えないのか? 2001年から、バガンのとあるパゴダに通っています。 ここに、絵を売ってる男が居ます。 彼とは気が合うようで、よく雑談をしていました。 彼には、5人の娘がいます。 3人の娘は、経済的理由で学校は8年で終わったようです。 ミャンマーで学校に8年通えたなら、いい方かもしれません。 旅行者が少ない時などは売り上げが少なく、彼はぼやいていました。 「貧しい人は、学校にいけないのか?」 子供の事で悩んでいたと思います。 そんな彼が言いました。 2017年の8月の事です。 「100ドルでいいから援助してくれないか?」 長い付き合いの彼から、そんな言葉が出たのは初めてです。 「よっぽど、苦しいんだな。」私は思いました。 彼の4番目の娘は成績が良く、10年生とのこと。 何とか、大学にいかせてやりたいようです。 翌日、私は何も言わずに100ドル渡しました。 「ありがとう。」彼は言いました。 4か月後の12月、もう100ドル渡しておきました。 この時、初めて娘と顔を合わせました。 恥ずかしそうに、「ありがとう。」彼女は、言いました。 彼の話によると、学費は500000Kくらいだそうです。 当時は確か、1ドル=1300Kだったと思います。 「400ドルか・・・」 私の少ない収入でも、これくらいなら支援できそうです。 人のために、自分でも何か役に立てるなら・・・ それから1年後に400ドル、そして今回の旅行の際に400ドルを渡しておきました。 もうすぐ3年生になるようです。 あと1年か・・・ 1年かけて、こつこつお金を貯めたいと思います。
400ドルの大きさ。 彼の3番目の娘は、ホテルでベッドメーキングの仕事をしています。 月給は、130000Kだそうです。 1ドル=1500Kとして、約87ドルですね。 400ドルが、いかに大きいか分かります。 1番目と2番目の娘は仕事がなく、旅行者相手にTシャツやロンジーを売ってます。 収入は多くはないでしょう。
一度食べてみて下さい、干しエビ。 市場や路上で売ってる干しエビです。 値段もエビの大きさも色々ですが、これが美味い!
バゴーの宿。 いつものMYANANDAに泊まってきました。 エアコン・トイレ・シャワー付きで10ドルでした。 チェックインの時は、「10ドル」でしたが、支払いの時になってチャット払いを要求されました。 もちろんドルで払いました。 客がいるような感じはなかったですね。
トントンさんはどこに? バゴーに滞在したことのある方は、声を掛けられた事があると思うのですが、 今回、トントンさんがいませんでした。 周りの人に聞いても「知らない。」 バゴー滞在は15回目くらいですが、彼に会えなかったのは初めてです。
宿代は、ドル?チャット?今回は振り回されました。 ミャンマーの宿代ですが、今までほとんどドル払いでした。 今回も、いつものようにドルの現金を用意していきました。 バゴー・・・チェックインの時は、「10ドル」と言われましたが、支払いの時になってチャット払いを要求されました。「10ドルだろ?」ドルを押し付けてきました。 ピイ・・・パンガバは、昔からチャット払いです。 マグエ・・・ここも昔からドル払いでしたが、チャット払いになっていました。 手持ちのチャットが・・・ バガン・・・ここもチャット払いになっていました。 次の滞在先のメッティーラのハニーホテルはドル払いでしたが、「もしかしてチャット?」 1泊30ドルで2泊するので60ドル。チャットなら、90000Kです。 「足りない!」 バガンのATMで150000チャットを下しました。 しかし・・・ハニーホテルはドル払いでした。 撃沈! チャットが・・・余り過ぎや!
バガンからメッティーラへ。 運行会社は、ニャウンウーマン。 朝6時発のネピドー行きに乗り、途中下車。 料金は。7500K。 所要3時間。 宿までピックアップに来てくれます。
メッティーラの宿。 メッティーラの宿は、いつものHoney Hotelです。 1泊30ドルは変わってなかったですが、前払いになっていました。 領収書はくれます。
ご飯はやっぱり、Shwe On Binですね。 以前にも書いたことがありますが、ご飯はいつもここで食べます。 ただ、また値上がりしてました。 チェッターヒンが、4500K。おいしいです。 相変わらず、野菜たっぷりのスープは美味かったですね。
ခြင်တွန်းလှန်ရန်နံ့သာပေါင်းမလိုအပ်ပါ ဒေသဆိုင်ရာရာသီဥတုမှာနေရအောင်
マグエからバガンへ。 運行会社は、ニャウンウーマン。 朝8時発で、料金は8000K。 バスではなくバン。 所要3時間20分。 ニャウンウーのホテルの前で降ろしてくれた。 他にも運行している会社あり。
勝手に席を変えるな、ボケ! 時々やられるんですが、予約した席番と実際に乗る時の席番が違うことがあります。 バス会社が勝手に変更するんですが、今回もやられました。 予約したのは2列目のドライバーの真後ろの席。 乗車当日に指定されたのは、3列目の2人掛けの席。 隣りは・・・ 巨大な白人の男! それも足元にキャリーケースを持ち込んでる。 私のスペースは、お尻半分くらい。半ケツ分くらいしかありませんでした。 「これは、たまらん。」 文句を言って変えさせました。 図体のでかい奴は、2席分を買うべきだと思います。
天気の悪かったバガン。 1月1日にマグエからバガンに移動しました。 マグエを出発後、雨がぱらつき出しました。 雨は1時間程で止みましたが、バガン到着までは曇り空でした。 4日にメッティーラに移動しましたが、バガン滞在中は曇り空で、たまに降りました。 正月休みでバガンに来ている人たちにとっては、不運でしたね。
物乞いが増えましたね。 1年振りのバガン訪問でしたが、物乞いが増えていましたね。 特に、子供が増えたと思います。以前は、それ程でもなかったと思いますが。 遭遇した方も多いと思います。 皆さんは、お金をあげる方ですか?
ごめんなさい。入域料を払ってません。 マグエからのバンは、支払いのチェックポイントで止まらずに通過しました。 昼間に通過したことはなかったので驚きました。 宿でのチェックはありませんでした。(軍事政権時代は厳しいチェックあり。) そのままバガンを去ってしまいました。
バガンの宿。 バガンですが宿が増えましたね。 私がいつも通ってた茶店もホテルになってしまいました。 いつも泊まってるのが、LARGE GOLDEN POT HOTELです。 以前は、LARGE GOLDEN POT G.Hでした。 この名前を言っても現地では通じません。 「シュエ オージー」と言いましょう。 2001年に初めて泊まりましたが、当時は小さな建物でした。 現在、当時の建物はすべて取り壊され、新しくなりました。 Agodaでも予約できますが、予約できるのは、高くて、きれいな部屋です。 質素な部屋もあります。 料金ですが、エアコン・トイレ・シャワー付きで18000Kでした。
ピイからマグエへ。マグエは、10年振り5回目です。 10年振りにマグエに行ってきました。 運行会社は、AUNG THU(アウン トゥ)。 バスではなく、バンでした。 ASIA EXPRESSの二軒隣りです。 朝7時半発、料金は6000K。 所要、7時間半。
マグエの宿。 マグエの宿は、ROLEX G.H。 ここに泊まるのは、3回目です。 料金は、30000K。エアコン・トイレ・ホットシャワー付き。 部屋は、それなりです。これで30000Kは高い! ここの建物は、2階建てで吹き抜けになっています。 今回は、2階に泊まりました。 1階にテレビがあるんですが、夕方から大音量でDVD、音楽が流れます。 23時くらいまで続くので、寝られません。 私は、ウォークマンを持ってたので耳栓代わりにして寝ました。 スタッフですが、日中どこにいるのか分かりません。 レセプションには、いつも人がいません。 やる気のなさは、旧ヤーザーゲストハウスから全く変わってませんね。 ただ、顔を合わせると、いつもニコニコしてます。 騒音は今回が初めてですが、泊まる分には問題はないでしょう。
恐怖、ゴルフクラブ男! マグエでの出来事です。 茶店でくつろいだ後、店を出ました。 茶店の写真を撮ってると、黄色のヘルメットを被った男が、私のそばに立ちました。 そして、私の顔を見ながら、私の周りをぐるぐる回ります。 その距離 数十センチ。 男の顔を見ると、「あっ!」 完全に目がいってる・・・ しばらくして、男は立ち去りました。 「危なかったなぁ・・・」 私もその場を離れ、エーヤワディー川のそばで休んでいました。 すると、爆音が聞こえます。 振り返るとバイクが、こっちにやって来ます。 乗ってるのは、さっきの黄色のヘルメットの男。 私の近くにバイクを止めると、降りてこちらを見ています。 そして、バイクから取り出したのは、なんとゴルフクラブ! ブンブン、振り回し始めました。 こちらへ歩いて来ました。 「こりゃあ、まずいな。走って逃げるか、いや、走ると余計刺激するかも・・・」 私の目は、そばにあったブロックにいってます。こちらも、何か武器を探さないと。 男がそばに来ました。その距離、3メートル。 すると男は・・・ 「バキ!バキ!」 そばにあったゴミ箱を、ゴルフクラブで叩き始めました。 「なんじゃ、こいつは!。」 ゴミ箱はボコボコにされてしまいました。 男はさらに、周りに有るものをゴルフクラブで、どつき続けます。 「逃げないと。いつこちらに向かってくるか分かりません。」 そろり、そろりと歩き始めました。 後ろでは、激しい物音が続いています。 今だ、ダッシュ! 全速で走りました。 何年振りでしょうか?全速で走ったのは。 逃げ込んだのは、人がいっぱいいる市場の中でした。 こんな経験をしたのは初めてでした。
覚えててくれてありがとう。 10年ぶりにマグエを訪れました。 目的は、10年前に撮った写真を渡す事です。 今回は、約40枚ほど持って行きました。 写真を撮った場所は、MYOMA MARKETです。 ドキドキしながら、敷地に入りました。 すると「ダポン、ダポン」と言う声が、聞こえてきました。 おばちゃん達が、こちらを見ています。 「覚えててくれたんだ・・・」 感動しました。 写真はすべて渡す事が出来ました。
マグエ発ヒンタダ(ヘンザダ)行きのバス。 マグエのニャウンウーマンの事務所前で、バガン行きのバンを待ってる時ですが、マイクロバスが停まっていました。中にはお客さんが乗っており、荷物を積み込んでいました。 事務所のおばさんに、「あのマイクロバスはどこ行き?」と聞くと、「ヒンタダ。」との返事。 「マグエーヒンタダ!」 こんなルートのバスがあるとは! このバスは、8時に出発しました。 このルートを使うような旅行者はほとんどいないと思いますが、 マグエから、ヒンタダ経由でパテインへ抜ける事ができると思います。 このバスがピイを経由するのかは不明です。
バゴーからピイへの夜行バス。 運行が休止されていた夜行バスが、復活していました。 バゴーからピイへの移動は、時間が掛かります。 時間を節約するために利用しました。 運行会社は、Myo Set Thit、19時発で料金は、7500K。 アウンミンガラー経由です。 実際の運行の様子です。 18時53分、バゴーを出発。客は数人でした。 20時43分、アウンミンガラーに到着。大量の荷物を積み込みました。 21時32分、アウンミンガラーを出ました。満席です。 途中休憩はなしでした。トイレに行きたい場合は、ドライバーに言いましょう。 2時38分、ピイのバススタンドに到着。 バススタンドには、モトバイクが待機してます。 バススタンドの外には、営業してる茶店がありました。 4時まで茶店で時間を潰して、パンガバへ向かいました。
「あなたは日本に生まれてラッキーだ。私はミャンマーに生まれてアンラッキーだ。」 朝4時に、ピイのバススタンドからパンガバへモトバイクで向かいました 料金は、日中なら1000Kですが、深夜早朝料金で1500Kでした。 パンガバへ向かう途中で、モトバイクのドライバーが言いました。 彼は、この言葉を3回繰り返しました。 私は、ただ黙って聞いてました。 返す言葉が見つかりませんでした。 そう、どこの国で生まれるかは誰にも選べません。
3本のバラの花。 ピイ滞在中の話です。 1年前のレポートにも書きましたが、エーヤワディー川にある夕日スポットに行ってきました。 夕日スポットは2か所ありますが、行った方は掘っ立て小屋のある方です。 17時前に夕日スポットに到着しました。 川では、近くの人たちが水浴びをしています。 子供たちもいました。 しばらくすると3人の子供が私の所に来ました。 首から下げてるカメラを指差して何か言ってくるので、撮ってあげました。 そして、カメラバッグに入ってたせんべいをあげました。 子供たちは、そのせんべいを他の子供たちと分けて食べていました。 夕日を見た後に帰ろうとしたら、さっきの3人の子供たちがやって来ました。 手には、それぞれバラの花が・・・ そして私にくれました。 私にバラの花を渡すと、走って去って行きました。 何とも言えない気分になりました。 しばらく、その場にいました。 もらった花は写真に撮り、近くの寺院に供えてきました。 そして、祈りました。 「彼らの生活が、少しでも楽になります様に」と。