誰かに聞いて欲しくて投稿します。実は別な公募に応募したものの見事ボツだったので、このままでは誰にも読まれず消えてしまう、と思い、短く書き直してみます。読んでくださるだけでうれしいです。実話をもとにしたお話、くらいに思ってください。
本文中の< >は英語です。私の英語力はこの程度。またタクロー、マリーは仮名です。
天壇公園に行くのは3度目だった。ツアーと、ツアーの引率と。天壇行園には回音壁があるが、その1度目も2度目も、どうしたら反対側の声が聞こえるのかわからなかった。どんなに大声で叫んでも、背中でその声は聞こえはするが、音が回って来ているという感覚はなかった。
しかし今回は、ある考えがあった。きっとそうに違いない。中国の歴史がつけた「回音壁」というネーミングに嘘はないはずだ。きっと声は壁を回る。
そして私はゆるやかに円を描く壁の前に立った。あちこちで観光客が叫んでは、首をかしげている。ふっふっふ、昔の私と同じ失敗をしているようだ。
ところが私はここで大失敗をしているのに気がついた。…誰に聞いてもらう?
私は一人だったのだ。勢い込んで来てはみたが、一人で応答はできないし、音より速く走れない。私の声は、まさか壁を一周はしないだろう。
ここはひとつ相手を探すしかない。一人旅の旅行者は見れば判る。おお、彼女はきっとそうだろう。
<すみません、お願いがあるのですが>彼女は、ああ、シャッターね、OKよ、というそぶり。
<いいえ、写真ではありません。あなたはこの建物の説明を読みましたか?>
<ええ。とても興味深い建物です>
<私は声の反響を試してみたい。しかし私は一人です。助けてくれませんか?>
<OK。どうすればいいの?> やった(^ ^)V
<彼らを見なさい>と、私はまわりにいる壁に向かって叫ぶ人々を指した。<彼らはみんな失敗しています>
<失敗?>彼女は興味深そうだった。
<はい、失敗です。彼らは壁に垂直に叫んでいる。反響は壁を回らない>我ながらよく「垂直」なんて単語を思い出したものだと思う。彼女はうなずいて聞いてくれている。
<だから、壁に向かってナナメに…>と言おうとして言葉に詰まった。ナナメなんて単語は知らない。私は中国旅行必携の筆談ノートを出して、図で説明した。ふわりと、のぞき込む彼女の金髪の香りがした。
<いい案ね。やってみましょう>彼女は賛成し、乗り気になってくれた。
<OK、私は向こうに行く。30秒後に叫ぶ。聞こえたら返事を>
そう言って走り出した私を、彼女が呼び止めた。
<待って! あなたの名前!>
そうだ、名前。美女と話をするなんてめったにないので、アガっていたのだろう。名前を知らなければ呼びようがない。私はまた彼女の前に引き返した。
<ははは、ごめん。私の名前はタクロー。日本人>
<マリーよ。アメリカから来た>そう言ってマリーは右手を出した。
そして私は再び壁の反対側へ走った。間に建物があって、マリーの姿はもう見えない。
30秒。私は壁に向かってナナメの方向に叫んだ。
<マリー、聞こえるかーい?>
ややあって、<タクロー、私はあなたの声が聞こえるー! 私の声は聞こえるー?>
<聞こえるー! マリー、私たちは成功したよ!>
<おめでとう、タクロー>
えーっと、あとは何を言おうか。よし、このさいだ。
<マリー、愛してるよー!>
<タクロー、私も愛してるー!> アメリカ人って、ノリがいい。
私たちのやり方を見ていた周りの失敗者たちは、次第にマネをし始めた。みんなナナメを向いて叫んでいる。中国語、英語、韓国語。そこはマネをしなくていいのに、みんな最後に愛を叫ぶのだ。アイラヴユー! ウォーアイニー! サランヘヨー!
私とマリーはその声を聞きながら回音壁をあとにした。マリーは北の天壇の方へ。私は南出口へ。ここでお別れだ。
<ありがとう、マリー。気をつけて、そして北京の旅を楽しんで>
<ありがとう、タクロー。いい思い出ができた>
かるくハグをして、彼女は去っていく。30秒後、私はマリーの後ろ姿に叫んだ。
<マリー、愛してるよー!>
マリーはかろやかに手をふり、キスをひとつ投げてよこした。